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中田靖泰

社会福祉法人理事会にて

 教育勅語を素読させている幼稚園があると報道されて日本中が驚いています。「とんでもない」という人もいれば、「どこが悪い」と言う大臣もいます。思えば学校で教育勅語を教えなくなってから70年以上経ちました。日本社会がそれに代わるものをまだ見出していないことは確かです。「しつけ」とか「道徳」を教える責任を学校と家庭とで互いに押し付け合っているだけのように思えます。
 例えば、若者の離職率の高さが問題になっています。会社を経営している友人が、「最近の若い社員はちょっと嫌なことがあると「辞めてやる」と言って会社に来なくなる。親を呼んで話してみても、子供に忍耐や自省を説く親は殆どいない。子供の言う通りにさせるのが親の愛情だと思っているらしい」とこぼしていました。
慶應義塾大学の創始者福沢諭吉は幼い息子たちに次のような「ひびのをしへ」(日々の教え)を講じていたそうです。

ひゞのをしへ 二へん
とうざい、とうざい。ひゞのをしへ二へんのはじまり。おさだめのおきては六かでう、みゝをさらへてこれをきゝ、はらにおさめてわするべからず。
だい一 てんとうさまをおそれ、これをうやまい、そのこゝろにしたがふべし。たゞしこゝにいふてんとうさまとは、にちりんのことにはあらず、西洋のことばにてごつどゝいひ、にほんのことばにほんやくすれば、ざうぶつしやといふものなり。
だい二 ちゝはゝをうやまい、これをしたしみ、そのこゝろにしたがふべし。
だい三 ひとをころすべからず。けものをむごくとりあつかひ、むしけらをむゑきにころすべからず。だい四 ぬすみすべからず。ひとのおとしたるものをひらふべからず。
だい五 いつはるべからず。うそをついて、ひとのじやまをすべからず。
だい六 むさぼるべからず。むやみによくばりて、ひとのものをほしがるべからず。

 自信に満ちた明治の父親の姿がまぶしく見えるのは私一人でしょうか。今、これが出来る父親や先生が何人いるでしょうか。
小学校で「道徳」が正規科目として教えられることになるそうです。よい結果が出るといいと思います。でも本当は「道徳教育」は言葉ではないと思います。「子供は親の言う通りにはならないが、必ず親のするとおりにする」という言葉があります。親が、先生が、政治家が、背中で教えるよりほかに方法はないと思いますがいかがでしょう。

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