慶友会だより

故 吉田 威 儀 一周忌法要 施主挨拶全文

2014/09/08


施主 御挨拶


寛仁親王妃信子殿下のご臨席を賜り、恐縮に存じます。

心温まるお言葉に、数々のエピソードも交えて戴き主人も喜んでいることと存じます。
また、生前お世話になった諸先生方からもやさしいメッセージをいただき、ありがとうございました。
懐かしい思い出がよみがえってまいりました。

改めて皆様、本日はお忙しい中、このように大勢の方々にお集まりいただき、そしてまた、遠路よりはるばるお越しいただき恐縮に存じます。
本当にありがとうございます。

八月の終わり、この時期がここ旭川では、最も過ごしやすい爽やかな季節です。
慶友会・前理事長である吉田威の一周忌を迎えるにあたり四年前のこの時期、この場所で日本人間ドック学会を大会長として開催したときの、主人のあのやさしい笑顔を思い返しておりました。
今頃の季節、主人が大好きだった自宅の庭には木々が青々と茂って、窓を開けると小鳥がさえずり、柔らかな風が流れてまいります。
一番大好きだったこの季節を、これからは一人で迎えていくことに非常に寂しい気持ちが募ります。
この悲しみがいつまで続くのか出口の見えない苦しさの中心が悲しみにとらわれてしまわないようにと耐えてきたこの一年であったように思います。

私と主人は、非常に身近な関係に生まれ、幼い頃にはこの旭川と名寄の地で、大自然の中のびのびと共に成長してまいりました。
そのような背景もあって生まれた言葉だと思いますが前理事長の掲げた理念の中に『Humanature(ヒューマネイチャー)』というものがあります。
それは自然との共生、つまり、厳しさと優しさを併せ持つこの自然の中で人間は“生かされている”ということだと私は捉えておりますが、それが慶友会の理念とテーマでございます。

皆様からのお話にもありましたように、私と主人とは身近な関係にあったことで、結婚の際も非常に大変でした。
そんなこともあり、結婚後も私たちは何をするのも一緒本当にずっと一緒でした。
ただ、夫婦というよりも「戦友」とも言うべき関係性で、よく意見が食い違い、職員の前でもどなたの前でも喧嘩をしておりましたので、皆さんにご迷惑をお掛けしたことも多々あったと思います。
そんな中主人は、時には嵐の中に飛び込んでいくような反骨心と共に、慶友会という船を決断力と行動力をもって進めていく航海図を描いてきました。
描いているその最中だったかもしれません。

主人が亡くなってこの一年は、今まで二人三脚で歩いてきた道とは対照的に、孤独の世界に身を置かれたような気持ちを何度も味わいました。
朝、日が昇り、お経をあげて、日が暮れて、また別の朝がやって来る。
ただその繰り返しで日が過ぎていきました。

そして、四十九日が過ぎようとした頃、信子殿下が「良子ちゃん、もうそろそろいいんじゃないの。
皆さんにご挨拶だけでもしてみたら。
」と私の背中を押してくださいました。
すると驚いたことに、慶友会という、私たちで育ててきたもう一つの“子供”の存在が、より強く意識されるようになってきました。
正面玄関から入って理事長室まで歩いていく間、あのステッキと帽子を被った理事長の姿を思い浮かべておりましたが、何より感じましたのは、職員の声でした。
そのとき、職員の頑張りで慶友会が存在し続けていると確認できたのです。
昨年、偲ぶ会で小俣先生が仰られたように、前理事長 吉田威の遺伝子が、確かにそこに存在していると感じられました。
そうして今、私はここにおります。

さて、全力で人生を駆け抜けた主人ですが、やり残したこともたくさんあると思います。
以前食事の時に「僕がたくさん種を蒔いておくよ。
その種から花を咲かせ、実が生るように育てるのは子どもと職員でやってほしい」と言われました。
そしてもうひと言「絶対がたがたせず、騒がないでね」とも言われました。
この二つのテーマは、私は非常に難しい課題と受け止めていますが、主人はよく「I have a dream. ではない、We have a dream. だ。
」と申しておりました。
その根底にあるのは、子供たち、職員とともに、この慶友会という船で理想の医療を求めて世界へ漕ぎ出してほしい、ということだと考えております。
一歩一歩ではありますが、前理事長の思い出を実現してまいります。

最後になりましたが、一年経った今でも主人のことを思いこうして遠路旭川までお運びいただいた皆様に心から感謝申し上げます。
皆様に支えていただきながら、子供たちと職員とともに全力で邁進してまいります。
どうかこれからも、慶友会に対する変わらぬご厚情よろしくお願いいたします。

本日は誠にありがとうございました。



平成二十六年八月三十一日  吉田良子



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